重低音と熱暴走の空間:おっさんの園の崩壊、AIの完璧な図面、そして「ハコ」すら不要な究極のDTM世界への妄想
自分の「配線図」をリバースエンジニアリングしたら、とんでもない特注ハイブリッド機材だった話
なぜあの時、私は地方のビルで孤立無援だったのか。理由は会社の人事戦略にあった。「現地に設備がわかる人間を置きたい。契約実務なんて後でいい。」そんな判断で、設計上がりの私が配置されたのだ。
今ならわかる。それは間違いだ。PM(プロパティマネジメント)に最も必要なのは、設備の知識ではなく、調整力と契約の知識だ。しかし当時の私は、武器を持たされないまま戦場に放り込まれ、そして敗北した。
結果、「ド素人は置いておけない」と東京本社へ転勤になった。そこには契約のいろはを教えてくれる環境はあった。しかし同時に、私の最大の武器である「設備屋としての自分」を封印させられる場所でもあった。
本社には、設備の専門部隊(エンジニアリング部門)が別にいた。だから、PMである私が設備に口を出す必要はない。求められたのは、テナントとの賃料交渉、ビルメンさんを走らせるマネジメント、そしてオーナーへの報告。
「設備屋」であることを押し殺し、不慣れな「政治」と「交渉」の日々。そしてまた、事件は起きた。上司の指示通りに動いた案件で、またしてもオーナーを激怒させてしまったのだ。「はめられた」と思った。けれど同時に、心の底から納得した。「ああ、私はこの仕事に向いていない」
私は転職を決意した。条件はひとつ。「設備屋として、建物の運用に関われる仕事」。そして出会ったのが、当時まだ黎明期だった「エネルギーマネジメント」という仕事だった。
手探りの毎日だったが、そこには私が求めていた世界があった。BEMS(ビルエネルギー管理システム)が吐き出す膨大なデータ。それを解析し、設備の動きを読み解く。画面上の数字を追っている時、死んでいた私の脳みそが「ワクワク」と音を立てて動き出した。
「これだ! 私が探していたのは、こっちだ!」人間関係の調整ではなく、論理と数字で建物と対話する。水を得た魚のように、私は没頭した。
あれから時が経ち、今の私は思う。PM時代は、私の無知が生んだ「回り道」だったかもしれない。でも、あの地獄のような日々がなければ、今の私はいない。
設計事務所時代、私は「理想」を掲げて図面を描いていた。しかしPMになり、私は骨の髄まで思い知らされた。「ビルオーナーは『理想』ではなく『経済』で見ている」という事実を。
今の私には、「技術者の言葉」と「オーナーの言葉」、その両方の言語がわかる。契約書が読める。収支(お金)の痛みがわかる。そして設備の技術がわかる。だからこそ、私は建物の調律師であり、翻訳家なのだ。
もしあの時、失敗せずにPMを続けていたら、私はただの「くたびれた管理職」になっていただろう。あの大失敗と、向いていない仕事への絶望が、私をここへ導いてくれた。ありがとう、私の黒歴史。おかげで今、最高に面白い仕事ができている。
(完)