自分の「配線図」をリバースエンジニアリングしたら、とんでもない特注ハイブリッド機材だった話
『歩くことは、倒れること。』美大での敗北と、50年目のシステム再構築
建築設備の最適化(エネマネ)において最も愚かなのは、「建物の物理スペック(ハードウェア)」を無視して、世間一般の「理想の運用マニュアル(ソフトウェア)」を無理やりインストールすることだ。それは無駄なエネルギーロスと熱暴走を生むだけで、決して心地よい空間にはならない。
偉そうなことを言っているが、最近、私自身が自分のシステムに対してこの「致命的なエラー」を起こしていたことに気がついた。
私が30年ぶりに再起動した「音楽」というタスクにおいて、いかにして自機のハードウェア制約にぶち当たり、そして「プレイヤーになる」という要件定義を破棄するに至ったかという、システム解析ログを公開しようと思う。
私は30年ほど、音楽を「ただ受信する(聴く)だけ」の運用を続けてきた。しかし、どうにかしてもう一度、音楽の構造と直接つながる方法を探し、通信制音大の作曲(ポップス)コースへ入学した。
子どもの頃にインストールした「Yamaha OS(幼児科からの音楽教育)」のおかげで、大学レベルの音楽論や和声のスクーリングは、正常に処理できた。しかし、アレンジの課題でシステムが停止した。「ギターが弾けない(ギターの構造を知らない)のに、ギターアレンジは書けない」というエラーである。
さらに追い討ちをかけたのが能登の地震だ。正月休みに楽譜を書いていた私は、あの強烈な揺れによって生存本能が強制起動し、完全にフリーズしてしまった。
そこで私は、敬愛する田島貴男(Original Love)の出力システムを解読するため、自ら「ギターという言語(プロトコル)」を習得する決意をした。これがエレキギター稼働タスクの始まりである。
意気揚々とギターを習い始めたものの、最初の躓きは深刻だった。
「脇を締めて力む」という物理的なフォルト(エラー)に、なんと2年間も気づけなかったのだ。先生の指示通りに動かせず「ギターってこんなに難しいのか」と消耗し続けた。
しかし、ある日ふと気がついた。私が力んでいたのは、ギターが難しいからではない。ギターを構える前から、私の機体(身体)はすでに「力む」ことがデフォルト設定になっていたのだ。
振り返れば、私のハードウェアは長年、過酷な稼働環境下に置かれていた。自分とは仕様の異なる周囲との摩擦から身を守るための防衛本能や、介護という過負荷なタスク。これらを処理し続けるため、私のシステムは常に「増加装甲」を纏い、物理的に筋肉を硬直させる(身構える)ことでショックを吸収しようとしていたのである。
ギターという極めて繊細な言語(プロトコル)を入力しようとしたことで、初めて「自分のアクチュエータ(筋肉)が長年ロックされたまま固着している」という重大なエラーに気づかされたのだ。
さらに構造解析を進めると、なぜこれほど長期間、自身の力みに気づけなかったのかが判明した。私の機体は「固有受容覚」の配線が極端に細いという仕様だったのだ。
技術者向けに翻訳しよう。
固有受容覚とは、自分の筋肉の緊張や関節の角度をリアルタイムに検知する「内部フィードバックセンサー」のことだ。一般的な仕様の機体では、このセンサー網が太く強靭なため、手元を見なくても「身体の感覚」だけで誤差を修正するオートパイロット(PID制御のような閉ループ制御)が簡単にできる。
しかし私の機体は、この内部センサーの配線が極細である。長年の過負荷でバルブが固着(力み)していることすらセンサーが検知できていない状態だった。それなのに、一般的な教則本が推奨する「感覚を頼りにしたフィードバック制御」を無理に実行しようとしたため、CPUが戻り値を待ち続けて無限ループに陥り、結果として熱暴走を起こしていたのだ。初心者の壁以前に、長年の運用で歪んだ初期設定と、ハードウェアの構造的欠陥が乗っかっていたのである。
この事実(自機スペックのポンコツ具合)に気づいた時、「これじゃプレイヤーになれない」と悲哀のアラートが鳴り響いた。結構落ち込んだ。だが、ここで脳内の司令官が冷静に介入してきた。
「待て。そもそも我々は、ステージに立つためにこのタスクを立ち上げたのか?」
そうだ。私はプレイヤーになるためにギターを始めたわけではない。「ギターという言語を知りたい」「ギタリストの構造を知りたい」それだけだったはずだ。それがいつの間にか、世間一般的な「ギターを習う=弾けるようになる(プレイヤーになる)」という汎用アプリを誤ってインストールし、上手くなれないと嘆息していたのだ。
私の本来の仕様は、高性能な外部音響センサーとYamaha OSを用いて音楽の構造を解析し、脳内のデジタルツイン上で再構築(DTM制御)するものだ。物理的な手先の器用さで勝負する機体ではない。
それに気づいた瞬間、「プレイヤーとしての自分」という不要なアプリを即座にアンインストールできた。
ちょうどこれから引越しを控えている。
危ないところだった。新居の部屋のレイアウトコンセプトが、いつの間にか「プレイヤーが気持ちよく弾くためのステージ目線」になっていたことに気づいたのだ。
違う、そうじゃない。私が見ているのはそこではない。即座にプランを書き換えた。新しい部屋は、プレイヤーのステージではない。音の波形、グルーヴ、配線の美しさを可視化し、ギターという楽器を構造的に解剖するための「自分専用・音楽構造解析ラボ」だ。
自分の本来の要件定義に立ち返ったことで、空間の使い方も、今後のリソースの振り分け方も、すべてがクリアになった。
この個人的なエラーとデバッグの経験は、そっくりそのまま建築設備のエネルギーマネジメントにも言える。
「他所で上手くいった最新の制御システム」や「一般的な理想論」を、建物の実態(配管の劣化具合、センサーの精度、断熱性能などのハードウェア制約)を無視して導入しても、システムは必ず破綻する。
本当の最適化とは、まず「自機のスペックの弱さ・クセ(仕様)」を冷静かつ冷酷に受け入れることだ。その上で、目的に合わせてシステム要件を再定義する。足りないセンサーがあるなら、別のシステム(私の場合は外部カメラのモーションキャプチャやYamaha OS)で補完する「運用ルールの改定」が必要なのだ。
自分の「固有受容覚の弱さ」を嘆くフェーズは終わった。これからは、私の解像度でしか受信できない音楽の深淵を、この解析ラボでじっくりと解体していこうと思う。