【私が建物の”調律師”になるまで②】幽霊テナントと、思考停止の夜。私はただの「操り人形」だった。
【私が建物の”調律師”になるまで①】設計図の「その後」を知りたくて飛び込んだ場所は、めまいがするほどの「歪んだ空間」だった。
この業界では、よくこんな例え話が語られる。「建築(構造)が人間の『身体』だとしたら、設備は『内臓』である」と。
配管は血管、空調機は肺。機能としての役割を説明するには、確かにそれでもいい。 でも、私はずっとこの表現に違和感を抱いていた。天井のなかに隠れて「見えないもの(設備)」を、普段は見ることのできない「見えないもの(内臓)」で例えても、その「良さ」にピンとこないだろう? と。
私たちは普段、自分の肺がどう動いているかなんて意識しない。意識するのは風邪をひいて苦しい時くらい。 つまり、「内臓」という例えは「不調(マイナス)がない状態」の説明にはなっても、その空間がどれだけ素晴らしいかという「プラスの体験」の説明にはなっていない。
だから、私はあえてこう定義したい。
「設備とは、空間における音楽である」
おしゃれなカフェやホテルのラウンジを想像してみてほしい。 そこには心地よい音楽が流れている。会話を邪魔することなく、でも確実にその場の空気を上質にしている音楽。もし音楽が止まったら、急に空間が寒々しく感じるはず。
設備もこれと全く同じ。完璧に計算された空調、適切な照明、ストレスのない給排水。これらは優れた音楽のように、意識の裏側で、そこにいる人の心を「心地よい」状態にチューニングしている。
逆に、ダメな設備環境はわかりやすい。首筋に直撃するエアコンの風。チョロチョロと頼りないシャワーの水圧。耳障りな排水音。
これ、静かなバラードの途中で誰かが大きな音でくしゃみをするようなもの。あるいは、チューニングの合っていないギターで演奏されているようなもの。 一度その「不協和音」が気になり出すと、人はもうその空間を楽しめなくなる。
「普通に過ごせる」ということは、実は「完璧な演奏が続いている」ということなのだ。
私の主戦場である「エネルギーマネジメント」も、音楽で語ると非常にシンプルになる。 それは、空間の「ダイナミクス(抑揚)」をコントロールすること。
下手なバンドは、最初から最後まで全力で爆音を鳴らしてしまう。これでは聴いている方が疲れるし、すぐにスタミナ(エネルギー)切れを起こしてしまう。一方、プロの演奏は違う。静かなAメロでは繊細に、サビでは爆発的に。このメリハリがあるからこそ感動が生まれ、かつ無駄な力が入っていないから長時間演奏し続けられる。
建物のエネルギー管理も全く同じ。 人がいないのに空調が全開だったり、明るすぎる照明がついているのは、バラードなのにドラムが乱れ打ちしているようなもの。それは「ノイズ」であり、美しくない。
必要な時に、必要なだけのエネルギー(音)を、最適なバランスで供給する。 配管や機器という楽器を「調律」し、エネルギーマネジメントという指揮棒で、空間全体の「演奏」を指揮する。
見えない設備を音楽という共通言語で翻訳しながら、私の「ひとり設備ショウ」は続く。