【私が建物の”調律師”になるまで②】幽霊テナントと、思考停止の夜。私はただの「操り人形」だった。
【私が建物の”調律師”になるまで①】設計図の「その後」を知りたくて飛び込んだ場所は、めまいがするほどの「歪んだ空間」だった。
ビジネスコンテストに応募したり、イノベーションスクールに参加したりと、外の世界に触れる機会があった。そこで教わったのは「事業である以上、イノベーションである必要がある」ということ。本当にその通りだと思う。市場を変えるような新しい価値、それがビジネスの基本。
講義を受けてしばらく経ち、私の中に一つの静かな気づきが生まれた。「私がやりたいことは、事業を大きくすること(スケール)ではないのかもしれない」と。
今、私が本当に向き合いたいのは、会社の規模を追うことではなく、「自分という資産」をどう生かし切るか、ということだ。
そもそも、私が設備屋として生きているのは「知らなかったから」に他ならない。
子供の頃の私は、世の中にどんな仕事があるのかを知らなかった。音楽なら演奏家、建築なら意匠設計か大工。それしか選択肢がないと思い込んでいた。
「技術を身につけたい」と大学へは行かず、たまたま就職したサブコン。そこで私は、自分が一生「設備屋」として生きていくことになるとは夢にも思わず、キャリアをスタートさせた。
私の脳みそはちょっと変わった経歴でできている。 4歳からのヤマハ音楽教室のおかげで、五線譜を見ると勝手に脳内で音が鳴り出す。音楽を聴くと、無意識に構造を分析してしまう。
その「音楽脳」の変遷もまた、私の資産だ。小学生の時はテレビで見る歌謡曲と、音楽教室のピアノで弾くクラシックやポップス。中学生の頃には母の影響のジャズや、ラジオで流れる洋楽をエレクトーンで弾き、高校時代は(全然好きじゃなかった)LAメタルのドラムを叩き、家では黎明期のJ-POPを聴く。
成人してからは「Original Love」に出会い衝撃を受け、プレイヤーではなく「聴く側」としてその深淵な世界に浸りながら、設備屋としての足場を固めていった。
そして今、私はまた楽器を手にしている。 田島貴男を知りたくてエレキギターを習い、Slash、マイルズ・ケネディを聴く。
ジャンルも楽器もバラバラに見えるかもしれないが、この雑多で濃厚な音楽体験すべてが、今の私の感性を作っている。
そうやって振り返ると、私がやろうとしていることの輪郭がはっきりする。
敬愛する田島貴男様の、年々進化する「ひとりソウルショウ」。たった一人でステージに立ち、全身全霊で音を奏で、オーディエンスを熱狂させる。あれこそが、個の力を極限まで高めたイノベーションの形ではないだろうか。
もちろん、あのステージの裏には多くのスタッフの支えがあるはずだ。それでも、ライトを浴びて観客と対峙するのは彼一人。私の仕事も同じだ。たくさんの方々の協力を得ながらも、最後にステージに立つのは私自身だ。
私がやっていきたいこと。それはまさに「ひとり設備ショウ」なのだと思う。
設備屋としての技術と経験。 LAメタルやソウルミュージックを通ってきたリズム感のある脳みそ。それらを掛け合わせて、私という人間にしかできないアウトプットを、ブログというステージで展開する。
会社を大きくして、人を雇って…という「事業拡大」だけが正解ではない。自分という資産をフル活用して、たった一人でも面白いショー(仕事)を見せること。それもまた、立派なイノベーションだと信じて、私は今日も仕事をする。