【私が建物の”調律師”になるまで②】幽霊テナントと、思考停止の夜。私はただの「操り人形」だった。
【私が建物の”調律師”になるまで①】設計図の「その後」を知りたくて飛び込んだ場所は、めまいがするほどの「歪んだ空間」だった。
今から15年前、2011年の1月。私の生活は一変した。 父(当時67歳)が前年の夏に脳梗塞で倒れ、家族の「レガシーシステム運用(在宅介護)」プロジェクトが強制スタートした。
当時の私はまだ、このシステム(父)の設計図(特性)を正しく理解していなかった。 だからこそ、この後訪れる「3.11」の瞬間に、父が吐き出したエラーログの意味が分からず、ただただ戦慄することになる。
これは、私にとって恐ろしく難解なミキサー(父の脳)と格闘した私の「現場対応記録」だ。
退院後の父に発生していたバグは、医学的には「半側空間無視」と呼ばれるものだ。 音響的に言えば、「L(左)側チャンネルの信号入力が完全に断線している」状態。
本人の中では「世界は正常にミックスされている」つもりなのが厄介だった。「真っ直ぐ歩く」というコマンドを入力しても、L側の情報がないため、パンが極端にR(右)に振られ、出力(身体)はどんどん右へ右へと流れていく。
両親の家のトイレの右側には、段差のある玄関(落とし穴)がある。 放っておけば、父は「真っ直ぐ歩いているつもり」で、正確に玄関へダイブする。
家族はこの暴走するフェーダーを制御するため、24時間体制の有人監視(見守り)を行い、手動でパンポットを修正し続けた。2ヶ月後、ようやくシステムが安定稼働し始めた……その矢先だった。
2011年3月11日。外部環境において、観測史上最大級の振動(東日本大震災)が発生した。テレビ画面には、この世のものとは思えない津波の映像が流れていた。
日本中が、世界中が、その衝撃的な「入力ゲイン」の大きさに言葉を失っていた時。父は画面を見て、ボソリと言った。
「大げさな、騒ぎすぎだろ。」
私は耳を疑った。こいつは何を言っているんだ?システムが壊れているのか?それとも、心がないのか?
当時は怒りで震えたが、15年かけて父というハードウェアを解析した今なら、あの時の回路図が手に取るように分かる。
あれは「リミッター(過大入力保護回路)」が強制発動した瞬間だったのだ。
父の脳内ミキサーは、もともと「ダイナミックレンジ(許容できる信号の幅)」が極端に狭い仕様だったのだ。これは脳梗塞の後遺症ではなく、彼のデフォルトの仕様(自閉傾向)によるものだと今は思う。
想定内(日常)の信号: 処理可能。
想定外(大震災)の爆音: 処理能力の限界を超える(クリッピング)。
普通の機材なら「音が歪む(動揺する)」程度で済むが、父の機材は特殊だった。許容値を超えた瞬間、防御システムが働き、入力をバッサリと遮断(カット)してしまったのだ。
「大げさ」という言葉は、現実を否定することで自分の内部回路を守ろうとする、「ノイズゲート」の誤作動だったのだと思う。彼にとって、受け止めきれない他者の痛みは、すべて「不要なノイズ」として処理されたのだろう。
当時、私はその「仕様」を知らなかったから、父を「冷酷な人間」だと憎んだ。だが、今は違う。「ああ、この機材(父)は、入力がデカすぎるとミュートがかかるクセがあるんだな」と理解している。
機材のスペックに文句を言っても音は良くならない。必要なのは、その機材でどうやって現場を回すかという、私の腕だけだ。
父という難解なヴィンテージ機材との『適切な距離感(境界線)』を見つけ出した私は、その後、自分の特性や、境界線のなさが招いたバグの意味を、ようやく『解析』できるようになっていく。