建物は生きている、図面は死んでいる。~数千万円の設備を「撤去」する決断~
【実証実験報告】ツインギターの周波数応答解析と、2年越しの「防振支持」成功について
パンデミックの記憶もまだ新しいが、当時ある「特殊なオーダー」と向き合っていた。 それは、公民館のような地域の小規模施設を、発熱外来やトリアージ(患者の重症度選別)を行うための「前線基地」へと改修するプロジェクトだ。
そこで最も重要視されたのは「室圧コントロール」である。ウイルスを含んだ空気を外に漏らさない「陰圧」、あるいはクリーンな環境を保つ「陽圧」。空気の流れを制御するため、高性能なフィルターを備えた空調換気設備の導入が求められた。
計算上の風量や静圧を決めるのは、設備設計者にとって基本動作だ。しかしこの時、私は画面の前で手を止めた。「このフィルター、どこで交換させるつもりだ?」
通常、空調機やフィルターボックスは機械室や室内の天井内に設置する。点検口を設け、脚立を立てて天井板を開ければ、そこには機器がある。図面上はそれが最も合理的で、ダクトのルートも短くて済む「正解」だ。
だが、ここはウイルスの最前線になる場所だ。もし室内の天井内にフィルターボックスを置いたらどうなるか。フィルター交換の時期が来たとき、メンテナンス会社は防護服に身を包み、ウイルスが浮遊しているかもしれない室内に入り、脚立に登り、天井を開けなければならない。そして、汚れきったフィルターを引き抜くのだ。
作業者のリスクが高すぎる。そして作業中は、当然ながら診察や検査を止めなければならない。
「室内で交換させてはいけない」 それが、私の導き出した結論だった。
室内がダメなら、屋外しかない。しかし、精密な機器を雨晒しにするわけにはいかないし、外壁に巨大なボックスがへばりついているのは意匠(デザイン)的にも美しくない。
図面を睨み、建物の外形をなぞっていた時、目に留まったのが「庇(ひさし)」だった。 玄関や搬入口の上にある、雨除けの庇。通常、この規模の建物の庇は、構造材が剥き出しだったり、薄い化粧板が貼られているだけで、機器を隠せるような「懐(ふところ)」はない。
「ここに天井を貼ってもらえばいいのではないか?」
庇の下にあえて天井を貼り、その空間(懐)にフィルターボックスを仕込む。そして、点検口は屋外の軒天(のきてん)に設ける。
こうすれば、作業者は室内に入ることなく、屋外から脚立一本でフィルター交換が可能になる。室内の運用を止める必要もないし、何より作業者の汚染リスクが減る。
すぐに意匠設計に相談を持ちかけた。予想通り、最初は難色を示された。「庇はシャープに見せたい。天井を貼ってボテッと厚みが出るのはデザイン的に避けたい。」それが建築家の美学であり、職能だ。当然の反応である。
私はあえて、効率の話はしなかった。「デザインを崩したいわけではない。ただ、数年後、ここでフィルターを交換する人の命が心配だ。」「外からアクセスできれば、パンデミックの最中でも、この施設を止めることなく24時間稼働させられる。」
それは設備設計の話ではなく、建物の「運用(BCP)」と「安全」の話だった。 意匠設計はしばらく図面を見ていたが、「……わかった。見付(みつけ)の寸法を調整して、きれいに納まるように天井を貼ろう。」と言ってくれた。
完成した図面を見れば、そこにはただ「軒天点検口 □600」という四角い線が描かれているだけだ。 なぜそこに点検口があるのか、なぜ庇が少し厚いのか、一般の利用者が気づくことはないだろう。
けれど、それでいい。 設備屋の仕事は、計算書通りの機器を選定することだけではない。その建物が動き出した後、そこで働く人、そこを維持管理する人が、いかに安全に、いかに快適に過ごせるか。 10年後、15年後の未来を想像して、図面に「愛」と「保険」を忍ばせること。
それが、「線を引く」という行為の責任なのだと思う。