【私が建物の”調律師”になるまで②】幽霊テナントと、思考停止の夜。私はただの「操り人形」だった。
【私が建物の”調律師”になるまで①】設計図の「その後」を知りたくて飛び込んだ場所は、めまいがするほどの「歪んだ空間」だった。
世の中は「AIによる自動制御」が花盛りだ。 空調も省エネも、ビッグデータが「正解」を導き出してくれるという。
でも、プロパティマネジメントを経由してエネルギーマネジメントをやっている私としては、その風潮に少し違和感を抱いている。「そんなに簡単に『答え合わせ』なんてできないよ」と。
なぜなら、住宅以外、世の中の建物の多くは「世界に一つのオーダーメイド(一品モノ)」だからだ。
ガラス張りのオフィスか、窓のない工場か。熱源はガスか電気か。築何年か。そして何より、中に入っているテナントや利用者がどう動いているか。
これら無数の変数が複雑に絡み合った「このビルだけの正解」は、過去の統計データ(教科書)の中にはない。 マニュアル通りの「答え合わせ」をしようとしても、必ずどこかで歪みが出る。
だから、私たちの仕事は「答え」を探すことではない。 建物のノイズ(異音)を拾い、最適解を「創り出す」ことだ。それは計算というより、ジャズの即興演奏に近い、クリエイティブなエンジニアリングだと思っている。
ふと、自分の人生を振り返る。私も50年かけて、ようやくそのことに気づいた。
若い頃の私は、必死に世間が渡してくる「譜面」通りに演奏しようとする、「血だらけの答え合わせ」をしていた。
周りの女性たちが奏でる、綺麗で調和の取れたメロディ。それに比べて、私の内側から湧き出る音は、重たくて、激しくて、少し規格外だ。「みんなと同じように」弾かなきゃいけない。自分の本来の音域(スペック)を無視して、無理やり高い声を出そうとしたり、ボリュームを絞って気配を消そうとしたりして、心をすり減らしていた。
孔子は「五十にして天命を知る(知命)」と言った。今の私なりの解釈はこうだ。「知命」とは、自分という楽器の鳴らし方を理解し、その音色を諦めて愛すること。
50代になった今、私はもう他人の「譜面」を閉じた。私の人生は、優等生のための発表会じゃない。歪んだ音も、変拍子も、すべて飲み込んでグルーヴさせる、オーダーメイドのセッションだ。
ビルも人間も、完成なんてしない。生きている限り(稼働している限り)、常に未完成だ。
だからこそ、「既にある正解」を探すのではなく、「今のベスト」を自分で創り出す。この最適化(チューニング)のプロセスこそが、仕事であり、生きるということなのだと思う。
「答え合わせ」の人生はもう終わり。未完成の自分というビルを、どう面白がって運用していくか。これからは「答え創り」のプロとして生きていく。